そもそも写真を撮ることの意味

カメラを始めてからいろんなフォトグラファーさんがいることを知ったり
趣味で写真を撮ってる方もいたり
本当に写真って自由で見ていてとても楽しいし勉強になることがたくさん

それを知ったのもインスタがあったおかげ

でもその反面
自由だったはずの写真なのに
いろんな人の写真を見て自分の写真と比べたり
という情報を目にしたり

こどもの写真を残すというより
映えてる場所に行ってインスタに載せる写真を撮る

という本来の子どもの今ある表情を残すという目的から離れていってしまってるなぁと

そして自分もそうなりつつあったなぁと
ふと気づいたんですよね

もちろん自由だからこそいろんな撮り方があるわけで
それがいけないとかでもなく
撮りたいものを撮ればいいのですが 

そもそも私はなんで写真が撮りたかったのかっていう根本的なことを忘れてしまっていたなぁと気付きました

むしろ誰にも別に見てもらわなくてもいいのに

私は自分の子どもたちの写真を誰のためになんのために撮ってるんだろう
誰に見せたくて撮ってるんだろう
って思うようになりました

私は子どもたちの今の姿を残したい
もちろん映えた場所でかわいい服着せて
撮るのも楽しいけど

そもそも子どもたちが楽しくなかったら撮る意味がない 
どんなに綺麗な場所に行っても子どもが笑ってなかったらなんの写真なのかわからない

着せたい服を子どもが嫌がってたらなんの意味もない

だから最近は
写真を撮るからとわざわざ着替えたりせず
長男の場合はありのままのいつもの服で撮ることが多いです

娘は学校の服も休みの服も両方好きでどっちも喜んでくれるから良いのですが
長男は基本動きやすい服重視なので
学校にはサッカーのユニフォームだったり
adidasやPUMAなどきていってます

休みの日は無地のTシャツに短パンスタイルです

それでも学校の日でもユニフォームでも
たくさん撮ろうと思いました  

SNSって良くも悪くも影響力がものすごくあるし
いろんな人がいていろんな考え方があるから 
正解もないけど

私は私の良いと思う写真を発信していきたいなと思っています

結局は、どんな映えた場所で撮っても
日常の場所であっても
子どもたちが楽しく親も楽しく
写真に残せるのが一番だなっておもいます

楽しかったら撮られることもどんどん好きになる
もっと撮って〜って言ってくれるようになります

次男も初めは撮られるのがあまり好きではなく
カメラを構えると
それやめて〜といっていたのですが

今や私がカメラを構えると

わざとふざけて踊り出したり
走るからヨーイドンって言ってね!っていったり

カメラを構えると
一緒に遊ぶ感覚のようです

マンツーマン写活でも
次男の写真を好きと言ってくださる方が本当に多くて
どうやったら次男くんみたいな写真が撮れますか?っていう質問が多いのですが

本当にただ一緒に遊んでるだけなんです
カメラを構えてピントと撮りたい場所だけ合わせて

あとは一緒にお話ししたり 変な顔してみたり 
いつも一緒に遊ぶときにカメラを構えてるか構えてないかだけの違いかなって思います



みなさんもやってみてください♡


asami photograph

日常写真フォトグラファーです 当たり前の毎日こそがものすごく大切で温かいと思う そんな姿を形に残したい そんな想いで撮らせていただいています

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